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前号 翻訳生活レポート--ケモノ道

TRAN-SPA 第4号:1999年2月27日発行

ひな壇亭 ももの湯

翻訳生活レポート--ケモノ道 あみゅーず - お題拝借掲示板 翻訳者・くらしの便利手帖
となりは何を喰ふ人ぞ 翻訳フォーラム散策ガイド 編集後記

雛まつり

私のガジェット遍歴

高校生のとき――だから昭和48年だと思う――県が理科教育用に電子顕微鏡を購入した。理科センターへ一日行って、触らせてもらった。面白かった。それまでは理科の実験といっても、がらくた置き場と化した自分の勉強部屋や、家の台所や、ほとんど私物化していた学校の理科室で、いつでも、教科書に書いてある例よりもっとすごいことをやってみることができたし、実際にやっていた。自宅ではできない実験に初めて触れたのが、あのときだったと思う。6000倍の電子顕微鏡でなにを観察したのか、じつはさっぱり覚えていない。私の興味は、物を見ることより、むしろ装置を動かすことにあったようだ。

同じ年、学校にヒューレットパッカード社製の500万円のコンピューターが来た。これを使った実習も、たいへんに面白かった。こっちでは互除法とニュートン法をやったのを覚えている。自宅には計算尺と方眼紙に書いた計算図表しか、数学的な玩具を持っていなかった私にとって、この機械もまた夢のような存在であった。

コンピューターは、意外に早く自分のものになった。大学1年の化学の定期試験で計算機を持参するようにという指示がでて、われわれ学生はあわてて、最新式の関数電卓(カシオ、25,000円、平方根と三角関数ができる(^^;)を購入したものである。その少し後に買ったプログラマブル電卓(横川ヒューレットパッカード、8万円ほど)は、すでに、高校の数学実習で使った機械と基本的に同じことができるようになっていた。翌年、もう1台(テキサスインスツルメントのを)買った。その翌年、また1台(シャープのを)買った。その翌年、また1台(富士通のを)買った。

これらの機械の能力に、私は魅せられた。用があって道具を使うのではなく、手にした道具にやらせることのできる作業を探して、でっちあげて、やらせてみて楽しんだ。

電子顕微鏡がいつでも自由に使えるようになったのは、大学の5年目である。学生が3人しかいない研究室のほとんど専属物といえるような設備だった。それまで教科書や他人の論文の挿図でしか見られなかったものが、自分の目でじかに見られるというのは、新しい世界をつかんだような気分だった。さすがに、遊びには使わなかったが、この一部屋を埋める最新装置を自分で使ったり整備したりするという作業自体がとても楽しかった。

研究室でうだうだしていた間に、世間では、電子顕微鏡像をコンピューターで処理して立体構造を再構成するという研究や、分子構造をコンピューターでシミュレートして働きを探るという研究が流行りはじめた。対象物よりも道具のほうが好きという私にとっては、そっちをもっとまじめに勉強した方がよかったのかもしれない。まあいろいろあってね、そのころに科学者になることをやめてしまった。

コンピューターは、今は翻訳業の道具として使っている。ご推察の通り、仕事のためにコンピューターを動かしている時間よりも、仕事にかこつけて、当面役に立ちそうもない作業に費やしている時間のほうが長い――必要以上のインターネット検索とか、ホームページ書きとか、プログラミングとか、config.sys の書き直しとか。顕微鏡は、さすがに電子顕微鏡を家に置いていたりはしない。光学顕微鏡としては相当に性能の良いものが1台、部屋のすみで埃をかぶっている。桜餅にカビでも生えたら覗いてやろうと思っているのだが――と、むりやり雛祭りの話題にこじつける。

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