この記事は、『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)に連載されたものを、編集部のご好意により許可を得て、著者の責任において転載しています。

『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)2000年9月号

文科系のための科学講座

薬理学編

【9】

薬の代謝

 体内にとりこまれた薬は、細胞の中で待ちかまえている酵素の働きにより、さまざまな化学変化を受ける。それを薬の「代謝」といい、そのときに働く酵素を「薬物代謝酵素」という。一般的には、代謝を受けた薬は、薬としての働き(薬理活性)がなくなったり、弱くなったりする。また、多くの薬は、体内に入ったそのままの形(未変化体)では水に溶けにくいため、排泄されにくいが、代謝によって水溶性の高い物質に変化することにより、尿中や胆汁中へ排泄されやすくなる。薬の毒性もまた、代謝によって弱められる。

 薬は、全身のあらゆる場所で代謝を受けるが、肝臓での代謝が最も重要である。肝臓は、栄養素から毒物まで、体内を流れるさまざまな物質を化学的に変化させたり貯えたりしている、体内の化学工場ともいえる臓器であり、薬物代謝酵素の活性が高い。また臓器自体も大きい。

 肝臓には、肝臓で使う酸素などを運ぶ動脈(肝動脈)のほかに、門脈という特別な血管が入っている。門脈は、小腸と肝臓とを結び、小腸で吸収された物質をじかに肝臓へ運び込む血管である。肝臓で使われたあとの血液は、肝静脈を通って心臓へ戻る。こういう仕組みになっているから、前回述べたように、吸収された薬の一部が、一度も作用しないうちに肝臓で代謝されてしまうという「初回通過効果」が起こる。

 胆汁は、肝臓で作られて、胆管を通って十二指腸へ流れる。脂肪を乳化してその消化を助けることが、胆汁の主な役割だが、肝臓で代謝を受けた薬物の一部も、胆汁の中へ排泄される。おもしろいことに、こうして胆汁に混じって腸に出た物質が、ふたたび腸から吸収されて肝臓に戻るというサイクルが存在する。これを腸肝循環といい、ある種の薬は、腸肝循環に入って長く体内に留まることが知られている。

 肝臓の組織は、肝細胞がぎっしりと集まってできた肝小葉という単位から構成されている。肝小葉の中心には肝静脈の枝分かれした細い血管(中心静脈)があり、すべての肝細胞は肝動脈・門脈の枝分かれした末端と、毛細胆管に接している。

 肝細胞の内部には、他の臓器の細胞と同様に、核、ミトコンドリア、小胞体などの細胞内小器官が入っている。細胞をすりつぶし、遠心機にかけて成分に分けるという処理(細胞分画法)をすることによって、これらを別々に取り出すことができる。小胞体は、細かくちぎれてミクロソームという分画になる(ゴルジ装置、ミトコンドリア外膜などもミクロソーム分画に入る)。

 肝ミクロソーム分画には、一群のモノオキシゲナーゼという酵素など、薬物代謝酵素の大半が含まれている(上清とミトコンドリアにも一部の酵素が含まれている)。なかでもチトクロームP-450という酵素は、いろいろな薬の代謝経路で中心的な役割を担っている。チトクロームP-450には、多くの微妙に構造の違う種類(イソ酵素)がある。動物の種によって、それぞれ違う多数のチトクロームP-450が知られているほか、同じ種でも系統によって違い、また年齢や性差によっても違っている。その一方で、チトクロームP-450は基質特異性が比較的低く、同じ酵素が多くの薬物を代謝する。

 薬の代謝に関係する化学反応には、酸化反応、還元反応、加水分解反応、抱合などがある。チトクロームP-450は、酸化反応としてはアルキル側鎖の水酸化反応、芳香環の水酸化反応、脱アルキル反応、エポキシド反応などを触媒し、還元反応としてはニトロ基還元反応、アゾ基還元反応、還元的脱ハロゲン反応、オキシド還元反応を触媒する。これらの反応で生じた代謝産物は、さらにグルクロン酸抱合、硫酸抱合などにより水溶性にされる。

 最初に述べたように薬の代謝は、たいていの場合、薬物を無毒化して排泄するという体の働きに関与しているが、その一方で、代謝を受けると薬理活性が高まる物質もある。天然物質でも、体内で代謝を受けることによって毒物に変化してしまうものがある。それと同じような原理で、体内で変化してから作用するように作られている薬を、プロドラッグという。

 たとえば抗生物質のアンピシリンは、注射と内服で投与されるが、内服では吸収率が低く、また高蛋白食により吸収が低下するなど食事の影響を受けやすい。アンピシリンのプロドラッグであるバカンピシリンは、そのような影響を受けずに経口でもよく吸収され、体内でアンピシリンになってから作用する。同様に、非ステロイド性消炎鎮痛薬のスリンダクは、そのままではほとんど生体に作用しないが、体内で生じる代謝産物が、非常に強い作用を発揮する。高脂血症に用いられるニセリトロールは、体内で徐々に分解されて、長時間にわたりニコチン酸を遊離する。抗悪性腫瘍薬デオキシフルオロウリジンは、分解されて5-FUになってから作用するが、これを分解する酵素の活性が癌細胞に多いことから、癌に対して選択的に作用することが期待されている。

 このようにプロドラッグは、薬理作用自体は優れているがそのままでは吸収されにくかったり、胃腸に副作用を起こしたりする薬を改良することや、薬の作用時間を長くすること、特定の部位で作用を発現させることなどを目的として作られている。

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