この記事は、『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)に連載されたものを、編集部のご好意により許可を得て、著者の責任において転載しています。

『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)2000年8月号

文科系のための科学講座

薬理学編

【8】

薬物動態

体内での薬の吸収、体内分布、代謝、排泄

 服用した薬が、消化管から吸収されて血液に入るという話を、前回した。血流に乗って全身に回った薬は、そこから組織に移行し、細胞に作用する。薬が有効に働くためには、薬の作用する場所(作用点)での薬の濃度が、ある値より高くなっていなくてはならない。一方、あまりにも濃度が高くなりすぎると、今度は毒性などの副作用が現れるようになってしまう。そこで薬は、血液(血漿あるいは血清*)中の薬物濃度が高すぎもせず、低すぎもしないように、適切な範囲に保たれるように投与しなくてはならない。この範囲を有効濃度域という。

 (*血液から血球を取り除いた残りの液体成分を血漿という。薬が溶け込むのはこの液体成分の中なので、血液に含まれる薬剤の濃度としては、血液全体に対する濃度よりも血漿中薬物濃度がよく使われている。血液を凝固させた後に残る液体部分を血清という。)

 薬を血管に注射した場合は、血中濃度は一瞬にして最高濃度に達するわけだが、口から服用した薬が血液に入るまでには、時間がかかる。投与後に血液の中で薬物濃度がどこまで上昇するかという最高値を最高血中濃度といい、Cmaxという記号で表す。投与からCmaxに達するまでの時間を最高濃度到達時間といい、Tmaxという記号で表す。

 投与された薬は、いつまでも体内に留まっているのではなく、やがて排泄されたり、分解されたりして失われる。そこで血中濃度はCmaxに達した後、徐々に低下して行き、やがて0になる。Cmaxが半分に低下するまでの時間を半減期といい、T1/2という記号で表す。

 薬はどこへ消えるのかというと、1つには排泄され、あるいは代謝されて別の物質になる。排泄の経路は、主に尿中への排泄と糞中への排泄である。尿は腎臓で血液をこし分けることによって作られるが、そのときに薬も尿中へ移行し、血液から取り除かれる。一方、いったん血液に入った薬が糞中に排泄されるのは、主に肝臓で処理された薬が胆汁に含まれて、腸の中へ流れるという経路によっている。また唾液、胃液、腸液のなかに出てきた薬も、腸に流れて糞中に排泄される。少量ながら、母乳や汗にも薬が排泄される。呼気に排泄される薬もある。

 投与された薬の一部はそのままの形で(未変化体として)排泄され、また一部は代謝産物となって排泄される。薬の代謝は、主に肝臓で起こっているが、具体的には次回に述べたいと思う。血液から薬が取り除かれて行く速さは、クリアランス(Cl)という量で表される(「清掃値」ともいうが、この日本語はまず使われていない)。とくに腎臓で、一定時間にどれだけの血液をきれいにしているか(1分間に何ミリリットルの血液から薬物を取り除いているか)という値を、腎クリアランスという。

 さて、Tmaxの短い薬は、服用してからすばやく効果が現れ、T1/2の長い薬は、効果が長く持続するといえる。このことを、ベンゾジアゼピン系の催眠薬で具体的に見てみよう。

 超短期作用型とよばれるトリアゾラムは、Tmaxが1.2時間、T1/2が2.9時間とされている。短期作用型のブロチゾラムでは、Tmaxが約1.5時間、T1/2が約7時間である。長期作用型のニトラゼパムになると、Tmaxが約2時間、T1/2は平均25.1時間である(数値は医学書院『治療薬マニュアル2000』による)。このような特性の違いにより、超短期〜短期作用型の催眠薬は就眠困難型不眠に対して用いられ、中期〜長期型は早期覚醒型不眠に対して用いられている。

 何度も反復投与される薬の場合、初回に投与された薬の血中濃度が0に戻らないうちに次の薬を投与するということを繰り返すので、血中濃度の増減のパターンは、投与のたびに濃度の高いほうへずれて行く。それでも通常の治療量での反復投与であれば、どこまでも濃度が上昇するということはなく、数回の投与後には、一定の最低値と最高値の間を上下する定常状態に落ち着く。投与間隔が半減期と同じ時間であれば7回、投与間隔が半減期の半分であれば4回の反復投与で、血漿薬物濃度はほぼ定常状態に達するとされている。

 反復投与の初回に限り、薬を多く投与することで、定常状態を早く達成することができる。このとき初回に投与する薬の量を初回量、その後に反復して投与する量を維持量という。

 最後にもう1つ、バイオアベイラビリティ(生物学的利用率)(F)というのは、投与された薬がどれだけ完全に、体に利用されるかという指標である。静脈内投与であれば、投与された薬は完全に利用されると考えられるが、それ以外の経口投与などの経路で投与された薬は、静脈内投与に比べてバイオアベイラビリティが低い。具体的には、投与された薬が全身循環血中に到達するようすを、到達の割合と速度の両面から測定してこの値を計算する。経口投与後の血中薬物濃度をグラフに描くと、濃度は時間0からTmaxまでの間にCmaxまで上昇し、そこを頂点にしてその後は低下するという山形の曲線になる。グラフでこの曲線より下にある図形の面積を、血中濃度-時間曲線下面積(AUC)という。静脈内投与後のAUCを基準にして、経口投与後のAUCを比較したものをバイオアベイラビリティの値とする。静脈内投与以外の投与経路では、まず第1に投与された部位からの吸収が悪いことによって、バイオアベイラビリティが低くなる。

 また、腸から血液に吸収された物質は、すべて門脈を通ってまず肝臓へ行くというしくみになっている。肝臓には薬を代謝する機能があるため、吸収された薬の一部は、まったく作用しないうちに肝臓で代謝され、別の物質に変わってしまう(これを初回通過効果という)。これも、経口投与でのバイオアベイラビリティを低下させる原因として重要である。

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