この記事は、『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)に連載されたものを、編集部のご好意により許可を得て、著者の責任において転載しています。 |
『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)2000年7月号 |
文科系のための科学講座薬理学編【7】薬の量と濃度 |
薬の量は、ミリグラム(mg)という単位で表されていることが多い。たとえば代表的な睡眠薬ニトラゼパムは、5〜10 mg を就寝前に服用することになっている。5 mg などという微量の薬は、飲んでも体の中でどこかへ消えてしまいそうなものだ。もちろんそんなことはないのだが。 まず、5 mg という量を体感してみよう。5 mg と書いてある錠剤の重さが 5 mg というわけではない。その錠剤に含まれている有効成分の量が 5 mg ということであって、錠剤の大半は賦形剤という無害な物質(デンプンや乳糖など)で占められている。有効成分だけで錠剤を作ろうとしても、少なすぎるために量にばらつきが出やすく、そもそもそんなに小さな錠剤を数えて服用するのはとても大変だからだ。 薬の代わりに砂糖(ショ糖)で考えてみよう。ティースプーン1杯の砂糖は、ほぼ5グラムである(一人前5グラムずつ包装してある砂糖で考えれば、もっと正確だ)。5 mg は、これの1000分の1にあたる。5 g を10分の1にすると 500 mg、さらに10分の1にすると 50 mg、もういっぺん10分の1にすると 5 mg(半分ずつに分けるほうがイメージしやすいかもしれない。半分にしたものをまた半分にするというふうに、2等分する操作を10回行うと、1024分の1になる)。ニトラゼパム 5 mg 錠に含まれているニトラゼパムの量は、たったこれだけだ。 これが体内に入る。体内といっても、胃腸の中にあるうちは、まだ体の外にあるのと変わらない。服用された薬は、胃腸から吸収されて血液に入ってはじめて薬としての働きを発揮することができる。血液の量は、体重の1/13といわれている。体重 60 kg として、そのうち 4.6 kg が血液である。血液の比重は1より少し大きいが、1として概算すると、4.6リットルの血液にニトラゼパム 5 mg が溶け込むことになる。仮に服用したニトラゼパムが全部血液に取り込まれ、血液の中に留まっているとすれば、1リットル当たり 1.087 mg。1ミリリットル(ml)当たり 1.087 マイクログラム(μg)。血液1滴を 1/20 ml とすると、血液1滴に溶け込んでいる量は 0.054μg になる。 上で取り分けた砂糖 5 mg を水4.6リットルに溶かしたら、まったく甘くない。味に関しては、砂糖は消えてしまったも同然だが、それでも砂糖の分子は、たしかに溶液の中に存在している。分子というのは非常に小さいものなので、個数で数えると、そうとうにたくさん存在している。どのくらいたくさんかと言うと、この溶液1滴の中に100兆個のオーダーである。 血中の薬物濃度は、このように「1ミリリットル当たり何マイクログラム」(μg/ml)という単位、あるいはさらに微量で作用するものでは「1ミリリットル当たり何ナノグラム」(ng/ml)という単位で表される範囲になっていることが多い(1μg=1000 ng)。 この μg/ml とか ng/ml という単位は、溶け込んでいるもの(溶質)の「重さ」にもとづいて濃度を測っている単位だが、そうではなく溶質の分子の「個数」にもとづいて濃度を測る単位もある。そういう単位による濃度をモル濃度という。さて、そのための分子の数え方がなぜこんなにややこしくなったのかは、化学の歴史としてとても興味深いのだが、ここで科学史を論じてみても、話がちょっとだけおもしろくなるだけで、けっして分かりやすくなるわけではないので、やめておこう。ともあれ大前提として、分子 6×1023個のことを 1 mol という。6×1023(6かける10の23乗=6の後に0が23個)という数字は(NAという記号で表され、名前をアボガドロ数というが)、大きすぎて直観的に想像することはできないだろう。想像しようと思わないほうがいい。こういう莫大な数を頭に浮かべようとすると、そこから先へ進めなくなってしまう。分子1ダースとか、分子1グロスとか、ある個数で束ねるという概念の延長線上に、1 mol という量があるのだと思ってほしい。 だから、分子 1 mol が何グラムであるかは、分子の種類によって異なる。1個1個の分子が大きい(重い)ほど、1 mol の量は多い(重い)。たとえば水 1 mol は 18 g であり、砂糖 1 mol は 342 g である。〔これは、水の分子量が18であり、砂糖の分子量が342だからである。内訳をいうと、水は、水素原子(原子量=1)2個と酸素原子(原子量=16)1個でできているので、分子量は1×2+16=18となる。砂糖は、炭素原子(原子量=12)12個と水素原子(原子量=1)22個と酸素原子(原子量=16)11個でできているので、分子量は12×12+1×22+16×11=342となる。早い話が、原子量を足し合わせて求めた分子量が100であれば、その物質は100 gで1 mol ということだ。その中にNA個の分子が含まれているわけだが、NAが具体的に6×1023という数であるということは、べつに知る必要がない。〕 そして、溶液1リットルに溶質 1 mol が溶け込んでいる濃度のことを、1モル(M)という。同じ「モル」という読みでも、「mol」は物質量であり、「M」は濃度なので注意してほしい。砂糖の場合、1リットル中に砂糖 342 g を含む砂糖水の濃度は、1 M である。1リットル中に砂糖 1 g が溶けている場合は、濃度は 1/342=0.0029 M である。これは 2.9×10-3 M すなわち 2.9ミリモル(mM)とも書ける。4.6リットル中に砂糖 5 mg が溶けている場合は、(2.9×10-3)×(5/1000)×(1/4.6)=3.15×10-6 Mすなわち 3.15マイクロモル(μM)。体内の薬物も、モル濃度で表せばこの程度のオーダーになっている。 |
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