この記事は、『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)に連載されたものを、編集部のご好意により許可を得て、著者の責任において転載しています。

『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)2000年6月号

文科系のための科学講座

薬理学編

【6】

抗生物質の作用機序

 抗生物質は体内にいる病原微生物を殺すための薬なので、人間の細胞にはなるべく害を与えず、病原微生物のみに作用するという「選択毒性」を持っていなくてはならない。そのためには、抗生物質は病原微生物のみに存在する構造や代謝経路に働きかけて、それを破壊するものであることが望ましい。

 ペニシリンなどのβ-ラクタム系抗生物質は、細菌の細胞壁を作る働きを止めることによって効果を発揮する(「細胞壁合成阻害」)。細胞壁とは何か? 復習になるが、細胞壁と細胞膜との違いを確認しておこう。すべての細胞は、細胞膜(細胞質膜、原形質膜ともいう)に包まれている。これは蛋白質と脂質でできた、薄くしなやかな膜である。人間など動物の細胞は、細胞膜がすなわち細胞の表面であって、その外側はじかに環境と接しているが、細菌は、細胞膜の外に細胞壁という、もっと丈夫な構造を持っている。植物細胞にも細胞壁があるが、細菌の細胞壁とは性質が異なっている。真菌(カビ・キノコ)の細胞も、またいくらか性質の異なる細胞壁を持っている。

 細菌の細胞壁は、ペプチドグリカンという物質でできている。(語源から推定できると思うが、蛋白質と同じくアミノ酸で構成されるペプチドと、多糖の一種とが網目状に結合したものである)。この多糖はN-アセチルムラミン酸とN-アセチルグルコサミンが交互に結合した鎖であり、ムラミン酸は細菌にしか存在しない成分である。ペプチドのほうは、一般の蛋白質と違ってD-型アミノ酸を含むという特徴がある。このペプチドグリカンは、細菌の細胞内で、素材となる単純な物質から何段階もの反応を経て合成されるが、それぞれの反応段階に1つの酵素が関わっている。

 β-ラクタム系抗生物質は、そういう細胞壁合成に関わる酵素のいずれかを阻害する。抗生物質の作用でペプチドグリカンを合成できなくなった細菌は、分裂しようとするとき、細胞壁の編目をきちんと作り上げることができない。細胞内の液体にはいろいろな物質が溶け込んでいるので、つねに浸透圧が働いている(周囲から水が入り込もうとして、細胞を膨らませている)。そこで、細胞壁の損なわれた細菌の細胞は、浸透圧に抗しきれなくなって破裂・溶菌する。

 ペプチドグリカンから成る細胞壁という、動物細胞にはない成分に作用することで、β-ラクタム系抗生物質は細菌に対する高い選択性を示す。また、グラム陰性菌とグラム陽性菌では、どちらもペプチドグリカンを含んではいるが細胞壁の構成が異なる(グラム陰性菌の細胞壁はとても薄い)ため、β-ラクタム系抗生物質の多くはグラム陽性菌にのみ作用するという選択性が生じる。

 それ以外の抗生物質の作用機序を、簡単ににまとめて紹介する。

 蛋白質合成系への作用。すべての細胞は遺伝子DNAによって支配され、遺伝子は蛋白質を合成するための情報を細胞内に送り出すことによって機能を発揮している。細胞内で遺伝子からの情報にもとづいて蛋白質を合成するための装置が、リボソームという粒子である。細菌のリボソームは、沈降定数30Sと50Sの粒子(サブユニット)から成り、動物細胞のリボソーム(40Sと60Sのサブユニットから成る)とは明らかに異なっている。テトラサイクリンやストレプトマイシンなどは30Sに結合し、マクロライド系抗生物質は50Sに結合し、ゲンタマイシンなどは30Sと50Sの両者に結合することによって、細菌の蛋白質合成を阻害する。

 RNA合成阻害。遺伝子DNAの情報は、RNAという分子に転写されて蛋白質合成系に渡される。その際、DNAを鋳型にしてRNAを作るために、RNAポリメラーゼという酵素が働いている。リファンピシンは、細菌のRNAポリメラーゼと結合して転写を阻害する。

 DNAへの作用。細胞が分裂するとき、遺伝子DNAは2倍に複製されて各々の娘細胞に受け継がれる。このときにも元のDNAが鋳型となって、その上に新しいDNAが作られる。マイトマイシンは、DNAの二重鎖の間に橋を架けるように結合する。またダウノルビシンは、二重鎖の間の溝にはまりこむように結合する。こうなってしまったDNAは、RNAの転写やDNAの複製のために鋳型として働くことができない。これらの抗生物質は、抗腫瘍薬としても使われる。

 DNA複製阻害。細菌のDNAは、動物と違い閉じた環状の分子なので、DNAを複製するための仕組みが動物と違っている。ナリジクス酸は、その違い(ジャイレースという酵素)に作用する。

 葉酸合成阻害。葉酸はアミノ酸を作るために必要な補酵素である。動物は体外からビタミンとして摂取した葉酸を使って生きているが、細菌は自分で葉酸を作らなくてはならない仕組みになっている。サルファ薬は、葉酸合成の代謝経路にある酵素を阻害する。トリメトプリムは、この代謝経路で別の酵素を阻害する。

 細胞膜への作用。コリスチン、グラミシジン(現在は使用されなくなった)などのペプチド系抗生物質は、細胞膜に含まれるリン脂質と結合する。細菌の細胞は構造が単純で、動物細胞であればミトコンドリアや小胞体のような膜状の細胞内小器官で行われているような機能が、すべて細胞膜に存在している。そこで、このように細胞膜の構造を乱す薬物は、動物細胞より細菌の細胞に強い毒性を与える。

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