この記事は、『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)に連載されたものを、編集部のご好意により許可を得て、著者の責任において転載しています。 |
『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)2000年5月号 |
文科系のための科学講座薬理学編【5】化学療法薬 |
ひきだしを開けたらセファレキシンが入っていたので、その話をしたい。本当は、そんなものをしまっておくのは、あまり良いことではないのだが。 セファレキシンは、セファロスポリン系の抗生物質である。医薬品集によると「黄色ブドウ球菌、表皮ブドウ球菌、溶血性レンサ球菌、緑色レンサ球菌、肺炎球菌(中略)などのうち、セファレキシン感性菌による上気道感染、咽頭炎、喉頭炎(中略)尿道炎、膀胱炎、腎盂炎(中略)毛のう炎、汗腺炎、中耳炎、胆嚢炎(以下略)」などに効く。病気の名前は、まだまだ何十も並んでいる。これらの病気は、いずれも人体に細菌が住み着くことによって起こる感染症である。 医学の歴史を振り返ると、20世紀は「細菌の世紀」と評される。初めて結核や赤痢の病原菌が発見されたのは19世紀後半であり、最初の化学療法剤といえるサルバルサン(梅毒の薬)が作られたのは1909年、ペニシリンが発見されたのは1929年であった。その後、ペニシリンにならって続々と抗生物質が発見され、あるいは人工的に合成された。抗生物質を使うことによって、かつて多数の死者を出していたいわゆる疫病は、しだいに制圧された。 ペニシリンは、ご承知のように、アオカビ(Penicillium)の一種から分泌される物質である。イギリスのFlemingが、このカビの培養液にブドウ球菌の発育を阻止する力があることを発見したのは、偶然のたまものであったと伝えられている。Floreyらによって、ペニシリンは臨床的にもブドウ球菌やレンサ球菌の感染症に対する治療効果が確認され、大量供給の技術が確立された。1944年にはWaxmanが、結核に効くストレプトマイシンを発見した。これは放線菌(Streptomyces)の一種によって作られる。化学療法薬のなかでもこれらのように微生物の産物に由来するものが、抗生物質と呼ばれている。 抗生物質にたくさんの種類があるのは、なぜかというと、一つには、より多くの病原菌に効果のある薬を求めて、新しい抗生物質が探索されたためである。その多くは、土壌微生物を研究することによって発見された。たとえばペニシリンはグラム陽性菌と一部のグラム陰性菌に作用するが、グラム陰性菌の大半には無効である。(細菌は、形によって桿菌、球菌などに分類される。一方、グラム染色という技法で染まる細菌と染まらない細菌があり、グラム染色に陽性であるか陰性であるかという分類も、最も基本的な基準として用いられている。)ペニシリン分解酵素を産生する菌にも、ペニシリンは作用しない。Cephalosporum属のカビから得られるセファロスポリンCは、ペニシリンと同じ原理で作用するが、グラム陽性菌にも陰性菌にも効果を発揮する。カナマイシンは、結核菌のうちストレプトマイシンの効かないものにも有効である。テトラサイクリンやクロラムフェニコールは、グラム陰性菌、陽性菌、リケッチア、クラミジアに広く作用する、広域抗菌スペクトルを持つ抗生物質である。 薬としての性能を高めるためにも、多くの抗生物質が開発された。ペニシリンは経口投与できない。口から飲むと胃酸によって分解されるからである。そこで、この欠点を克服するペニシリンの誘導体が作られた(耐酸性ペニシリン)。やがて、6-アミノペニシラン酸という基本形の物質を発酵法によって大量生産する技術が確立し、それを化学的に変化させることによって新しい抗生物質が作られた。6-アミノペニシラン酸に手を加えることにより、ペニシリン分解酵素によって分解されないメチシリンなど(ペニシリナーゼ耐性ペニシリン)や、グラム陰性菌にも効くアンピシリン、さらに緑膿菌にも効くピペラシリンなど(広域ペニシリン)が開発された。 セファロスポリンCからは、セフェム系と呼ばれるたくさんの抗生物質が開発された。セフェム系は、セファロスポリン系とセファマイシン系を合わせた総称であり、第一世代から第三世代までに分類されている。 ペニシリン系、セフェム系と、その他いくつかの抗生物質は、いずれも分子の化学構造の中にβ-ラクタム環という基本骨格を持っているため、β-ラクタム系抗生物質と総称される。 β-ラクタム系以外の抗生物質にも、テトラサイクリン系、アミノグリコシド系(ストレプトマイシン、カナマイシン、ゲンタマイシンなど)、マクロライド系(エリスロマイシン、ジョサマイシンなど)、リンコマイシン系(リンコマイシン、クリンダマイシンなど)、キノリン誘導体(ノルフロキサシンなど)と、様々な種類がある。 抗生物質の主な顔ぶれを紹介しただけで、スペースが尽きてしまった。セファレキシンの説明には、「耐性菌の発現等を防ぐため、原則として感受性を確認し、疾病の治療上必要な最小限の期間の投与にとどめる」と、太い字で書いてある。次回は、抗生物質の作用機序から、近年問題になっている、この耐性菌にまで話を進めたい。 |
文科系のための科学講座 |
前の記事へ |
次の記事へ |
翻訳フォーラムのトップ |