この記事は、『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)に連載されたものを、編集部のご好意により許可を得て、著者の責任において転載しています。

『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)2000年4月号

文科系のための科学講座

薬理学編

【4】

シメチジン

 前回とりあげたβ遮断薬プロプラノロールを開発したのは、Sir James Blackという人だが、この人は、胃潰瘍治療薬のシメチジンも発明している。シメチジンは、ヒスタミンH2受容体拮抗薬とよばれる薬のなかで、最初に臨床的に使用されたものである。

 ヒスタミンH2受容体拮抗薬(たんにH2ブロッカーともいう)について話す前に、胃潰瘍のことをざっとながめておきたい。

 潰瘍とは、皮膚や粘膜の表面が崩れて、内部の組織にまで破壊が及んだ状態である。皮膚や粘膜の最上層(上皮)のみが破壊されている状態は、びらん(ただれ)であり、損傷がさらに深く、皮膚であれば真皮や皮下組織まで、粘膜であれば粘膜筋板まで達すると、潰瘍とよばれるようになる。

 胃や十二指腸に生じる潰瘍は、かつては胃液の消化作用によって生じると考えられていた。そのため、消化性潰瘍とよばれているが、現在では、粘膜に対する攻撃因子と防御因子とのアンバランスが原因であるという解釈(天秤説)が、広く受け入れられている。攻撃因子とは、胃粘膜に作用する酸や消化酵素などであり、防御因子とは、それに対抗する粘膜の抵抗力である。この説に従うと、消化性潰瘍の治療薬は、攻撃因子を弱める働きをするものと、防御因子を強化するものに分けることができる。

 攻撃因子を弱める薬としては、まず制酸薬が挙げられる。炭酸水素ナトリウム(重曹)、マグネシウム剤、アルミニウム剤など、胃液中の塩酸を化学的に中和する薬である。もう一つ前の段階で、胃酸(塩酸)が分泌されること自体を抑制するのが、H2ブロッカー(シメチジンなど)、ムスカリン受容体遮断薬(ピレンゼピン)、抗ガストリン薬(セクレチン)、プロトンポンプ抑制薬(オメプラゾール)である。

 少し話がそれるが、スクラルフェートという薬は、攻撃因子抑制薬としては、胃液に含まれる消化酵素(ペプシン)の活性を阻害する。それと同時に胃粘膜の蛋白質と結合することで、胃粘膜がペプシンによって消化されないように保護するという、抑制因子強化薬でもある。ほかには、組織修復促進薬、粘液産生分泌促進薬、胃粘膜循環改善薬といった種類の薬も、消化性潰瘍の抑制因子を強化する。潰瘍の発生にはストレスが重要な関係を持っているため、ベンゾジアゼピン系などの精神安定薬も潰瘍の治療に併用される。

 さて、胃粘膜から胃酸が分泌されるのは、直接的には、胃粘膜壁細胞にあるプロトンポンプという仕組みが働くことによる。(詳しく言うと、このポンプは、H+,K+-ATPアーゼという名前が示しているように、ATPをエネルギー源として消費しながら、細胞内から胃の内腔へプロトンすなわち水素イオンH+を放出し、それと入れ違いにカリウムイオンK+を取りこむ。結果、胃内の水素イオン濃度が高まり、酸性になる。)

 そしてこのポンプは、細胞にある3種類の受容体によって活性化される。ヒスタミンH2受容体、アセチルコリン(ムスカリン)受容体、ガストリン受容体に、それぞれ伝達物質のヒスタミン、アセチルコリン、ガストリンが結合することで、プロトンポンプが働いて酸が分泌されるという仕組みなので、いずれかの受容体を遮断すれば、酸の分泌は低下する。しかも、これら三者の間には相互作用があり、互いに支え合うように働いている。これらのうちでヒスタミンが、最も支配的だと考えられている。

 ヒスタミンという物質の名前は、かゆみ止めなどの薬の説明で、耳にしたことがあると思うが、ここで胃酸分泌を促しているヒスタミンも、(意外なことに)それと同じ物質である。ヒスタミンは、生理活性物質として炎症など、アレルギー反応に関与することが知られている。ヒスタミンの作用を抑制する抗ヒスタミン薬は、ジフェンヒドラミン、クロルフェニラミン、サイクリジン、プロメタジンなどが、鼻アレルギー、蕁麻疹などの治療薬として用いられてきた。しかしこれらの薬は、ヒスタミンによる胃酸分泌にはなんら影響を及ぼさない。それはなぜかというと、受容体が違うからである。ヒスタミンの受容体は2種類あり、抗ヒスタミン薬で抑制されるのは、H1受容体を介する反応のみである。胃酸分泌はH2受容体を介する反応なので、それを抑制するためには別の拮抗薬を開発する必要があった。

 ヒスタミンの分子構造をもとにして、最初に作られたH2ヒスタミン拮抗薬は、ブリマミドであった。これは胃酸分泌抑制作用を持ってはいるが、経口投与後の吸収が悪く、治療薬としては用いられていない。それを改良したメチアミドは、臨床試験まで行われたが、顆粒球減少症という副作用のため治療薬とはならなかった。シメチジンは、メチアミドの分子構造にさらに手を加えて、この副作用を除いたものである。十二指腸潰瘍、胃酸過多症などの治療に広く用いられている。ただし内分泌系への影響があり、また肝臓の薬物代謝酵素を抑制する。後に開発されたラニチジンは、そのような有害な作用を持たない。ファモチジンは、シメチジンの50倍の効力を持つといわれ、しかも作用が持続性である。

文科系のための科学講座
前の記事へ
次の記事へ
翻訳フォーラムのトップ