この記事は、『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)に連載されたものを、編集部のご好意により許可を得て、著者の責任において転載しています。

『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)2000年3月号

文科系のための科学講座

薬理学編

【3】

β遮断薬

 この話をする出発点を探そうとして、無謀とは知りながら、中学理科の学習参考書を開いてみた。アドレナリンという物質のことも、交感神経のことも、中学では教えていないようだ。神経細胞が細胞体と神経線維(理科では「繊維」だが医学では「線維」という)でできていて、神経線維と他の神経細胞とのつなぎ目がシナプスであるということは、この本にも書いてある。神経には脳や脊髄の中枢神経と、中枢から分かれ出て全身に広く分布する末梢神経がある。末梢神経には、感覚神経と運動神経のほかに、自律神経というものがあり、内臓の働きを自動的に調節している。ここまでが、中学理科である。

 自律神経には、交感神経と副交感神経という2つの系統がある。高校の参考書の図をみると、心臓にも、胃にも、肺の気管支にも、腎臓にも、それぞれ交感神経と副交感神経が対をなして入っている。交感神経と副交感神経は、たとえば以下のように、互いに拮抗する働きをしている。


            	瞳孔	心拍	血圧	血糖	呼吸	消化液分泌  皮下血管
交感神経    	拡大	促進	上昇	増加	促進	   抑制	      収縮
副交感神経  	縮小	抑制	下降	減少	抑制	   促進	      拡張

 交感神経が働くとき、神経の末端からノルアドレナリンという物質が放出される。副交感神経からの分泌物質は、アセチルコリンである。

 ノルアドレナリンというのは、アドレナリンというホルモンの前駆物質であり、作用もこれとよく似ている。中枢からの刺激を受けて副腎髄質から分泌されるアドレナリンは、全身をめぐって交感神経性の緊張を高め、血管を収縮させることによって血圧を上昇させる。また、肝臓に貯えられたグリコーゲンの分解を進めることによって血糖を増加させる(この点で膵臓から分泌されるインスリンと拮抗関係にある)。

 アドレナリンやノルアドレナリンの作用を受ける器官の細胞は、これらの分子を受け取るための受容体を持っている。それをひっくるめてアドレナリン受容体というが、詳しくみるとα受容体とβ受容体という2つのサブタイプがあり、さらにα1、α2、β1、β2に分類されている。アドレナリンのα作用(皮膚などの血管収縮、瞳孔散大、血圧上昇、腸弛緩など)を受け持つのがα受容体、β作用(気管支拡張、骨格筋や心臓に分布する血管の拡張、心拍数増加、収縮力の増加)を受け持つのがβ受容体である。

 これらのアドレナリン受容体に作用する薬は、じつに種類が多い。受容体に働いてアドレナリンと同じような作用を引き起こす薬は、アドレナリン作動薬(交感神経様作用薬)とよばれる。これにはα作動薬とβ作動薬がある。一例としてサルブタモールは、喘息の治療に用いられるβ2作動薬である。β作用のうち、気管支拡張作用(β2受容体への作用である平滑筋弛緩性)のみが選択的に強いので、心臓促進作用(β1受容体への作用)をあまり引き起こさずに喘息の症状をやわらげることができる。いっぽうβ1作動薬は、強心剤として用いられる。α1作動薬は、昇圧薬として用いられる。

 反対に、アドレナリンやノルアドレナリンの作用に拮抗する薬を、総称してアドレナリン作動性効果遮断薬(抗アドレナリン作動薬)という。アドレナリンやノルアドレナリンがアドレナリン受容体に結合しようとするときに、薬の分子も同じ受容体に結合しようとして、結合する場所を取り合うことで作用を遮断するもの(可逆的な競合阻害)や、薬の分子が受容体と共有結合してしまい、非可逆的に遮断するものがある。

 これにもα遮断薬とβ遮断薬がある。β遮断薬は、不整脈、狭心症、高血圧症に対して広く用いられている。

 心臓は、激しい運動やストレスにより、ふだんより活発に拍動するようになる。心拍数が増えるのは、自律神経からアドレナリンが放出され、β受容体に働くからである。それと同時に、α受容体への作用により、血圧が上昇する。健康な人なら、それで心臓の働きはうまく調節されているのだが、狭心症の患者では、心筋へ行く血管(冠動脈)が狭窄して血行が減っているため、心拍数が増えることで心筋が酸素不足に陥り、激しい痛みが起こる。β受容体のみを遮断することで、血圧を下げずに心拍数を減らせば、狭心症の発作を緩和できるというのが、プロプラノロールという薬の発想であった。

 プロプラノロールは、代表的なβ遮断薬であり、強力で副作用が少ないことから臨床に使用されているが、これはβ1受容体とβ2受容体の両方に作用する非選択性β遮断薬であり、気道を狭窄させる作用を伴うため、気管支喘息患者には用いることができない。その点、アテノロールなどのβ1遮断薬は、気管支喘息患者の心臓病治療に用いても比較的安全であるとされている。このような受容体サブクラスへの選択性のほか、部分的β作用性(β遮断薬自体のβ受容体刺激作用)の有無、膜安定化作用(膜の興奮を妨げる、局所麻酔薬のような作用)の有無なども、さまざまなβ遮断薬の特徴として重要である。

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