この記事は、『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)に連載されたものを、編集部のご好意により許可を得て、著者の責任において転載しています。

『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)2000年2月号

文科系のための科学講座

薬理学編

【2】

セロトニン

 今回はセロトニンという神経伝達物質を例にとって、受容体のしくみと、そこへ薬物が作用するようすを、もう少し詳しく説明する。

 セロトニンは、体内では主に胃腸に存在するが、血液の血小板や、中枢神経系(脳・脊髄)にも存在している。セロトニンの作用でもっとも古くから知られているのは、平滑筋(主に胃腸などの内臓や血管にある筋肉)を収縮させる作用である。血清中にあって血管平滑筋を収縮させることにより、血圧を高める因子ということで、セロトニンと命名された(sero = 血清、ton-ic = 緊張)。しかしセロトニンは神経伝達物質でもあり、精神や神経の働きにも深くかかわっている。

 さて、神経は、非常に細長い線維をもつ細胞を1単位として、それがいくつも複雑に接続された構造をしている。この1単位となっている細胞を、ニューロンという。神経が活動するときには、ニューロンからニューロンへと、神経の興奮(すなわち情報)が伝わってゆく。ニューロンどうしの接合部は、シナプスとよばれる。2つのニューロンは、シナプスの所でくっつき合っているのではなく、それぞれの細胞膜がシナプス間隙というわずかなすきまを隔てて向かい合っている。このシナプスを通る情報は、一方通行であり、「シナプス前」から「シナプス後」の方向へしか情報が流れないようになっている。

 シナプスでの情報伝達が一方向なのは、シナプス前の細胞からシナプス間隙へ伝達物質が放出され、それがシナプス後の細胞膜にある受容体に結合して、シナプス後の細胞に作用を及ぼすというしくみで神経が働いているからである。このときに情報の受け渡しを担う物質は、何種類もあり、それぞれの神経によって決まっている。脳では縫線核という部分などに、セロトニンを含む神経細胞がある。

 セロトニンを伝達物質とするシナプスでは、次のような順序で情報が伝達される。

 まずセロトニンは、シナプス前の細胞の中で、アミノ酸の一種であるトリプトファンから作られる。作られたセロトニンは、シナプスを作っている細胞の端(神経終末)まで運ばれて、シナプス小胞という袋に貯蔵される。神経が興奮すると、この袋の中身がシナプス間隙へ放出される。放出されたセロトニンは、向かい側にある細胞膜の受容体に結合する。受容体は、セロトニンという分子を認識して、それを結合するのと同時に、自分の細胞に興奮を発生させる。

 これで情報伝達というセロトニンの役目は済んだわけだが、役目を果たしたセロトニンは、元の細胞の神経終末に再び取り込まれて、シナプス小胞に貯蔵される。後でもう一度情報が来たときに、それを伝達するために使われるわけである。

 このしくみに、いろいろな薬物が作用を及ぼすことが知られている。パラクロロフェニルアラニンは、トリプトファンからのセロトニンの合成を阻害する。レセルピンは、シナプス小胞への貯蔵を妨げる。貯蔵が妨げられると、細胞内のセロトニンは後述のMAOによって分解されるため、しだいに枯渇する。リセルグ酸の誘導体(幻覚作用のあるLSDなど)は、セロトニン受容体に結合して、本来結合するはずのセロトニンが放出されても結合できないようにしてしまう(受容体遮断作用)。いずれも、セロトニンによって作動する神経を抑制することになる。

 これらと反対に、セロトニンの働きを促進する薬物で代表的なのは、イミプラミン、アミトリプチリンといった三環系抗うつ薬である。これらは、神経終末へのセロトニンやカテコラミンの再取り込みを阻害する。その結果、シナプス間隙に放出された伝達物質が、取り込まれずに長く受容体に作用し続けることになる。

 MAO阻害薬は、別のところに作用してセロトニンの働きを促進する。体内にはMAO(モノアミンオキシダーゼ)という酵素があり、セロトニンやカテコラミンなど、モノアミン類を分解する役目を担っている。体内で過剰になったセロトニンは肝臓のMAOによって分解されるが、神経細胞のミトコンドリアにもMAOがあり、セロトニンを不活性化することによってその量を調節している。MAO阻害薬は、この酵素の働きを低下させるので、その結果、神経伝達に使えるセロトニンの量が増える。MAO阻害薬は、近年、抗うつ薬として臨床使用されている。現状では肝臓への副作用が強く、適応は他の抗うつ薬が効かない難治性の症例に限られる。

 三環系抗うつ薬やMAO阻害薬の抗うつ作用は、伝達物質の利用率を高めるという一次作用によるものではなく、それによって長期的に生じるシナプスの変化(受容体の数を減少させる作用)によるものと考えられている。

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