この記事は、『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)に連載されたものを、編集部のご好意により許可を得て、著者の責任において転載しています。

『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)2000年1月号

文科系のための科学講座

薬理学編

【1】

受容体

 多くの薬は、細胞にある受容体と結合することによって、細胞応答を引き起こし、それによって薬理作用を発揮する。受容体というものを最初に考え出したのは、1905年のラングレーによる研究であった。ニコチンやクラーレなどの物質が神経筋接合部に作用するようすを調べた結果から、細胞にはそれらの物質を結合する特殊な部位があると考えられた。1913年には、化学療法薬の作用を研究したエールリヒが「結合なければ作用なし」という言葉で、薬に対する受容体という考えを述べている。

 薬を静脈内に注射すると、薬は血流に乗って全身の組織に行き渡る(内服した場合は、それ以前に胃腸から吸収されて血液に入る必要がある)。薬がどの臓器のどんな細胞に働くかという選択性の程度は、薬の種類によってさまざまだが、いずれにせよ、薬は作用する相手の細胞に到達し、細胞に働きかける。そのときに、細胞が薬による働きかけを受け入れるための窓口となるのが、受容体である。

 細胞にそういう受容体があるのは、なにも薬を結合するために進化してきたわけではない。受容体は元来、生体内の情報伝達系の一部として働いているものである。神経系、内分泌系、免疫系という3つの情報伝達系は、一見まったく違うしくみのようだが、ある細胞から出された伝達物質が別の細胞に到達し、そこにある受容体と結合することによって、細胞内に生理的な活動を引き起こすという化学伝達であり、いずれも細胞外を伝わってきた情報が細胞内に取り込まれるところで受容体が活躍している。細胞外の情報伝達では、神経系においては神経伝達物質が情報を担い、内分泌系においてはホルモンが、また免疫系においては抗原やオータコイドと呼ばれる種々の物質が情報を担っている。

 たとえば運動神経と筋肉の接合部では、神経細胞が興奮すると、その末端からごくわずかなすきまを隔てた筋細胞へ向けて、アセチルコリンという伝達物質が放出される。アセチルコリンが筋細胞に到達し、ニコチン性アセチルコリン受容体に結合すると、筋細胞もまた興奮する。こうして興奮が伝達され、筋肉が動くわけである。内分泌系の場合は、伝達物質であるホルモンを出す細胞と、それを受け取る細胞が体内でかなり離れた距離にあり、ホルモンが血流によって運ばれるという点に違いがあるが、伝達物質が受容体に結合して細胞に働きかけるというしくみは同じである。正常な体内では、このように伝達物質とその受容体を仲立ちとしたシステムによって、生体の恒常性が維持されている。

 本来は体内に存在しない異物であっても、ある特定の受容体に結合し、それを働かせるものがある。また別の物質は、受容体に結合するけれども、働かせることはせず、結果として本来の伝達物質の作用を阻害する。筋細胞を興奮させるニコチン性アセチルコリン受容体は、ヘビの毒素(α-ブンガロトキシンという物質)によって阻害される。毒素が受容体に固く結合し、しかし筋細胞を興奮させるという働きは引き起こさないからである。ニコチンは、少量ならこの受容体を興奮させ、多量であれば遮断する。一般に、受容体に結合して働かせる物質をアゴニスト(作用物質、作用薬)といい、受容体に結合するが薬理作用を現さない物質をアンタゴニスト(拮抗物質、拮抗薬)という。また、両者を含めて受容体に結合する物質をリガンドという。受容体にアゴニストとアンタゴニストが存在することから、受容体には2つの機能があることがわかる。リガンドを認識して結合するという機能と、細胞応答を引き起こすという機能である。

 受容体が細胞のどこにあるかというと、おおまかには、水溶性物質と結合する受容体は細胞膜にあり、ステロイドなど脂溶性物質と結合する受容体は細胞質あるいは細胞核にある。細胞の外側を包んでいる細胞膜は、脂質の層なので、脂溶性物質でないとそのままでは細胞膜を通過できないからである。受容体の実体は、蛋白質である。細胞膜にある受容体は、細胞膜を貫通する形で、細胞外と細胞内の両方に接する構造をしている。

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