この記事は、『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)に連載されたものを、編集部のご好意により許可を得て、著者の責任において転載しています。

『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)1999年9月号

文科系のための科学講座

環境科学編

【9】

汚染を測る(1)

 水や大気に含まれる汚染物質を測定する方法について話をしたい。その前に、分析についてざっとながめておこう。

 中学理科の参考書をみると、分析に関係したテーマとしては、塩化物イオンと硝酸銀の反応という話と、リトマス試験紙の変色という話があった。

 塩酸と硝酸銀溶液を混ぜると、白濁する。これは、塩酸に含まれていた塩化物イオンと硝酸銀溶液に含まれていた銀イオンが結び付いて、塩化銀という水に溶けない物質ができるからである。JIS規格に定められている塩化物イオンの分析方法は、三つほどあるが、その一つがこの反応を利用している。(ちなみに「塩化物イオン」と「塩素イオン」は、同じものである。どちらの用語が好まれるかは、その分野の参考書に従うと良いだろう。)

 硝酸銀との反応は、そのまま塩化物イオンの定性分析として利用できる。硝酸銀溶液を加えて白色沈殿を生じたなら、塩化物イオンが含まれていると判断される。このように量を求めずに有無だけを調べる分析を、定性分析という。いっぽう、量を測るのを定量分析という。塩化物イオンの量を測るためには、硝酸銀と反応させてから、生じた沈殿の量を測るという方針と、塩化物イオンを沈殿させるためにどれだけの量の硝酸銀が費やされるかを測るという方針が考えられる。JISの硝酸銀滴定法は、後者である。

 定量すべき試料は、あらかじめ、ろ過して濁りを除き、硝酸か炭酸ナトリウムで中性にしておく。これに、フルオレセインナトリウムという指示薬を混ぜてから、硝酸銀溶液を少しずつ加えてゆくと、塩化銀の沈殿が生じる。試料溶液中に塩化物イオンが残っている間は、指示薬は黄緑色の蛍光を発している(フルオレセインを含む入浴剤の色そのものである)。塩化物イオンがすべて沈殿して、銀イオンが余るようになった瞬間に、指示薬は沈殿に吸着されて色を変え、淡桃色になる。ちょうどこのポイントに達するまでに、試料溶液中に滴下された硝酸銀溶液の量を測ることにより、塩化物イオンの量を計算することができる。

 計算の原理は単純だが、正確な数値を出すのは、けっこう面倒だ。まず、滴定に用いる硝酸銀溶液の濃度を、厳密に求めておかなくてはならない。そのための操作を「標定」という。標準物質とする純粋な塩化ナトリウムを、よく乾燥させて(600℃で1時間加熱し、乾燥剤を入れたデシケータ内で放冷)、秤量し、正確な水溶液とする。これに指示薬を加えて硝酸銀溶液で滴定した結果から、硝酸銀溶液の「ファクター」を求める。そのうえで、実際の試料を分析したなら、試料の量、滴定に要した硝酸銀溶液の量、硝酸銀溶液のファクターから、所定の公式により塩化物イオンの量を計算する。

 ただし、臭化物イオン、シアン化物イオンなどが共存すると、これらは塩化物イオンと同じように反応するので、この方法ではこれらのイオンも塩化物イオンとして測定される。亜硫酸イオン、硫化物イオンなども分析を妨害するが、これらは前処理によって妨害を除くことができる。

 塩化物イオンについてJISに定められている第二の方法は、イオン電極法であり、塩化物イオン電極を指示電極として電位を測定する。もう一つは、イオンクロマトグラフ法という機器分析である。機器分析については、次回以降に代表的なものを選んで解説したい。

 さて、どのような分析法でも、微量の物質を検出あるいは測定する能力には限界があり、いわゆる分析感度に達しない物質は分析にかからない。感度に関する用語で「検出限界」というのは、原子吸光法やクロマトグラフィーにおいては、測定のノイズに比べて一定の倍率の信号を与える濃度(つまり、はっきり存在するとわかる濃度)とされている。「定量限界」(あるいは「定量下限」)は、十分信頼性をもって検出することのできる被分析物の最小濃度と定義されていて、たいてい検出限界の数倍である。硝酸銀滴定法では、少なくとも 1 mg くらいの塩化物イオンが存在していないと沈殿が着色しないため、それよりも微量の塩化物イオンを測定することはできない。この量が「定量限界」である。

 測定結果には、どうしてもばらつきがある。測定の「精度」が高いというのは、測定を繰り返しても結果のばらつきが少ないということである。(さらに詳しくいえば、同一測定者が何度も測定を行ったときの「繰り返し精度」と、異なる測定者が測定したときにもばらつきが少ないという意味の「再現精度」がある)。また、精度が高くても、本当の値からずれていたのでは、正確な分析とはいえない。分析結果が真の値に近いかどうかという、かたよりの程度を「正確さ」という。精度と正確さを合わせて「精確さ」という言葉もある。

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