この記事は、『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)に連載されたものを、編集部のご好意により許可を得て、著者の責任において転載しています。

『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版発行)1998年7月号

文科系のための科学講座

遺伝子工学編

【7】

DNAの指紋

 人はそれぞれ、塩基配列の異なるDNAを持って生まれてくる。DNAの違いは、指紋と同じように個人に特有のものであり、犯罪捜査などで個人を特定するために用いられている。また、遺伝病の診断にも応用される。DNAの違いを明らかにする研究方法の一つは、フィンガープリントと言いならわされている。この方法では、DNAの制限酵素断片長多型(RFLP; restriction-fragment-length polymorphism)というものを分析する。

 制限酵素というのは、DNAを分解する酵素の一種で、DNAに働かせてやると、特定の塩基配列を持っている場所にだけ作用して切断するものである。DNAを構成しているA、C、G、Tという4種類の塩基は、本の中に文字が並んでいるのと同じように、DNA分子の中にいろいろな順序で並んでいる。そのうち、たとえばACGCTという配列だけを認識して、そこを切断する酵素がある。この酵素によって、ACGCTという配列のある場所をすべて切断させると、元は1本だったDNAの分子からたくさんの断片が生じる。断片は、長いものも短いものもあるが、元のDNAが同一であれば、断片の長さの分布はいつも同じようになる。別の人のDNAでは、ACGCTという部位のいくつかが、たとえばAGTCCに変化しているかもしれない。そうなると、その部位ではDNA分子が切断されないので、断片の長さの分布が違ってくる。このように、一つの遺伝子のDNA分子という、いっけん同じものが、詳しく調べるといくつもの形で存在していることを、多型という。

 RFLPという言葉の意味は、わかっていただけたと思うが、RFLPの分析は、具体的には次のような手順で行われる。(1)患者の体や、犯人が残した証拠物件から、DNAを取り出す。現在の方法では、1滴の血痕や毛髪1本といった、ごく微量の材料があれば十分である。(2)制限酵素を働かせてDNAを切断する。(3)できたDNA断片を、アガロース(寒天)などで作ったゲルに入れ、電圧を加えてゲルの中を移動させる(電気泳動)。短い断片ほど動きやすいので、DNA断片は長さごとに分かれて、ゲルのあちこちにスポットを作る。(4)特殊なナイロンのシートなどをゲルに押し当てて、ゲルに含まれているDNA断片をシートに移し取る。(5)このままでは、まだシートのどこにDNAがあるか見えないので、DNAを検出するための放射性物質(プローブという)を作用させて、放射能をX線フィルムに感光させることによって、フィンガープリントが作成される。たいてい、数種類の方法によるフィンガープリントが同時に作成され、そのパターンの組み合わせによって解釈が行われる。

 もともと、生化学でフィンガープリントという言葉を使ったのは、タンパク質の研究者だった。タンパク質にも特定の部位だけを切断する制限酵素があり、それによって生じる断片は、タンパク質ごとに独特の特徴を持つ。これを利用して、タンパク質の全配列を分析することなしに、タンパク質の異同を判定するための簡便法として開発されたのが、フィンガープリントであった。この同じ原理がDNAに応用され、今では本物の「指紋」と同じように法廷に提出されるようになったというのは、なんともおもしろい。犯罪現場に残された犯人の毛髪、血液、精液、衣類などから得られるDNAフィンガープリントは、犯人を特定する動かぬ証拠となる。親子関係の立証や、軍隊での個人の識別にも応用されるようになっている。

 フィンガープリントの用途は、もちろんそれだけではない。病院では遺伝病の診断を行うために、親、新生児、胎児のDNAを分析している。また、家系をたどってDNAを調べたり、罹病率の高いグループと低いグループを比較したりするという方法で、病気自体の研究や、治療法の開発にも用いられている。病気に関連した遺伝子の変化をじかに検出するのではなく、RFLPを染色体上のマーカーとして用いた研究が多い。ある特定の病気と、ある特定のRFLPとが、一緒に遺伝する確率が高いとしたら、その病気の遺伝子とそのRFLPとは、同じ染色体上で互いに近い位置にある、すなわち連鎖しているということがわかる。このような知識の積み重ねから、ハンチントン舞踏病、嚢胞性腎疾患など遺伝病の正体が明らかになってきている。

 個人ごとのRFLPの違いが研究されたのは1978年で、1980年には、後に述べるPCR法という画期的な技術が発明された。最近では、法医学やDNA鑑定の分野にも、RFLPに加えてPCR法が応用されるようになり、より感度の高い分析が可能になっている。

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