この「講座」は、@nifty「翻訳フォーラム・アドバンスメント館(FTRAN2)」の第13会議室「翻訳JOB応援会議室」にて連載されているものを、著作者の許可を得てウェブ上に転載したものです。

この「講座」内容に関連する質疑応答は、@nifty「翻訳フォーラム・アドバンスメント館(FTRAN2)」の第13会議室「翻訳JOB応援会議室」にて受け付けております。

講座内容についてのご質問がある方は、どうぞ、上記会議室においでください。

6.7 クライアント直接取引

実力もついた、設備もそれなりに揃った、「6.4 高付加価値化」で取り上げたようなこともそれなりに経験した……こうなれば、そろそろクライアントと直接取引も可能な段階になったといえるでしょう。

★大まかな方向性とそのメリット・デメリット

このレベルに達した翻訳者がとりうる方針は、以下のようになるでしょう。

  1. クライアント直接取引に集中し、翻訳会社からの受注をやめる
  2. 直接取引をメインに考えるが、翻訳会社からの受注も継続する
  3. 翻訳会社経由をメインとし、いい話があったら直接取引も行う
  4. 直接取引は行わず、翻訳会社経由に集中する

どれがいいということはありません。自分が目指す翻訳事業の姿と自分自身の資質などを勘案して、自分にとってもっともいいと思う方向に進めばいいのです。ただし、それぞれの方向の持つメリット・デメリットを正しく認識しておく必要があります。

1.は、営業が大変です(営業も特殊技能です)。また、仕事量のぶれも大きくなります。責任も重くなります。いっぽう、少ない仕事量でも実入りがいいというメリットがあります。言ってみればハイリスク、ハイリターン的なやり方です。

2.は、仕事量のぶれを翻訳会社に吸収してもらおうという考え方です。このパターンが成功するためには、ヒマになったときにはすぐに翻訳会社から仕事を受注できなければなりません。つきあっている翻訳会社が「ヒマになったら是非連絡してくださいね」と言ってくれるくらいでないと、なかなか意図したようにうまくはいかないでしょう。

3.は、今までどおりを基本に、いい話があったら乗ろうという考え方です。低リスクでいい話はつかめるといういい話のように思えますが、現実には、このような「できたらやろう」程度の考え方でクライアントとの直接取引を獲得するのは、なかなか難しいと思います。

4.は今までどおりですから、おいしい話もないかわりにリスクもありません。営業に関わるもろもろは、すべて翻訳会社がやるわけですから、責任も軽く気楽に仕事ができます。ビジネスというものがややこしいということをよく知っている翻訳者(会社員としてビジネスの現場を渡り歩いた人など)のなかには、クライアントから直接引き合いがきても、懇意にしている翻訳会社を窓口にして営業上のややこしい話は任せてしまう人もいるくらいです。もちろん、窓口になってもらう翻訳会社には営業経費を落とすわけです。

★各人の資質や目標

方向ごとの事業特質の違いに加えて、事業者としての自分の資質や目標とする方向性も検討する必要があります。

人と会うのが苦手な人や、営業に向いていないと思う人は、よっぽどコネでもない限り、4.か3.の方向にすべきでしょう。また、営業というのも特殊技能ですから、人と会うのが好きな人でも、しばらくやってみたら営業には向いていなかったと分かるかもしれません。そういう場合も、無理せずに3.や4.に転進することをお勧めします。二足の草鞋の人は、営業に使う時間が基本的にありませんし、専門に近い部分で営業をすると二足がばれる危険もあります。ですから、無理はしないで、やはり3.か4.という方向で考えるべきだと思います。

事業の方向性として、あくまで個人翻訳者として「訳す」ことにこだわりたい人も、3.や4.がいいでしょう。営業なんて面倒なことは翻訳会社にまかせて、自分は翻訳作業に集中するわけです。自分1人で処理できる以上の量や規模の仕事はできませんが、周辺業務に時間をとられることなく好きな翻訳に集中できるというメリットがあります。

これに対して、なるべく多くの仕事や大きな仕事を手がけたいと思うならば、クライアントとの直接取引を増やしたほうがいいでしょう。自分1人では処理できないだけの仕事をとることが目標ということは、必然的に、ミニ翻訳会社を目指すことになります。もともと目標としていたのか結果的にそうなったのかは知りませんが、このような経緯で発展してきたと思われる、翻訳者が社長をしている翻訳会社がけっこうあります。

このようにミニ翻訳会社を目指す場合、自分自身が営業向きであるか、または、優秀な営業担当者を雇い入れる必要があります。もちろん、自分1人だけから数人、20人、30人規模へと発展させていくには、経営的な能力も必要です。

★収入はどうなるか

クライアント直接とすると収入が多くなるとよく言われますが、必ずしもそうとは限りません。増えることが多いだろうとは思いますが、逆に減ることだってありえます。増える場合も、思ったほどは増えないはずです。

前にも書いたように、ふつう、翻訳会社→翻訳者のレートは、クライアント→翻訳会社の40%以下です。ということは、クライアント直接なら収入は倍以上に増えるハズだと思いますか? 残念ながら、そんなにうまくはいきません。

クライアントとの直接取引では、営業の手間が増えます。クライアントと翻訳会社の一番大きな違いは、翻訳会社はクライアントからとってきた仕事を翻訳者に発注しなければ困るという点です。ですから、翻訳会社は、常にいい発注先を探しています。これに対してクライアントは、発注先を変える必要を感じていないことも多いのです。

ですから、新しい取引先を開拓するのが、まず大変です。取引が始まっても、案件ごとに仕事の打診から見積書の提出、価格のネゴ、事前打ち合わせなど、クライアントのところまで何度も出向かなければならなかったりします。そのあげくに「今回は他社に決まった」となることもあります。

翻訳会社が相手なら、納品したら基本的に仕事はおしまいです。もちろん、訳抜けがあって追加納品したり、質問がきて答えることはありますが、その程度です。それに対してクライアントからの直接案件では、細かい問い合わせが入ってみたり、品質などで問題があったりしたら長々と文句を言われたり謝罪しに行かなければならないことだってあり得ます。また、何ヶ月もたってから、「あの翻訳のときに使った参考資料を教えて欲しい」などという問い合わせが入ることもあります。

翻訳以外の仕事もこなさなければならないことが多くなります。翻訳会社経由ならテキストデータでの納品が多いのですが、クライアント直接ではWordや一太郎などのワープロソフトで書式設定しての納品を要求されることがよくあります。高付加価値化でも書いたように、翻訳以外の付加的な作業は、翻訳ほどの料金をふつうはもらえません。料金的にも、おいしい話ばかりではないのです。

クライアント直接では、基本的に、請求書も発行しなければなりません。しかも、書き方や提出時期を細かく指定するクライアントもあります。

万が一の場合に大きいのは、責任の問題です。訳文に間違いがあったなどの理由でクライアントに損失が出た場合、クライアント直接ならば翻訳者自身が責任をとらなければなりません。これに対して翻訳会社経由では、「翻訳会社にチェックの責任があり万が一の場合の責任も翻訳会社が負う」というのが原則だと思います。翻訳会社の中には、マージンだけとって責任はとらないところもあるとは聞いていますが……

あれこれ考えると、営業は翻訳会社にまかせて、自分は翻訳に集中したほうがいいと思う人もいるでしょう。優秀な翻訳者ならば、この方法でもかなりの高収入をあげられます。ある一流翻訳者の方が、講演会で、「2000円/仕上がり400字で1日30枚仕上げれば1日6万円、20日/月で1ヶ月120万円、1年で1,440万円を売り上げることが可能」という計算を披露されていました。トップクラスの翻訳者は仕事がとぎれることがほとんどありませんから、これは現実味が十分にある計算だと言えます。

★クライアントとの値段交渉

クライアントとの値決めでは、翻訳会社→翻訳者のレートではなく、クライアント→翻訳会社の翻訳料金を基準に考えるべきです。「6.6 翻訳難易度と翻訳料金」でも書きましたが、目先の実入りという面からも、回り回って自分や同業翻訳者の首を絞めないためにも、なるべく高めに設定すべきだと思います。

翻訳会社とは、いったんレートが決まったら、その後はだいたいそのレートで発注されます。これに対してクライアント直接では、基本のレートが決まっていても、都度、値段交渉があったり相見積もりとなったりすることがよくあります。

翻訳会社あいてでもレート値上げ交渉は大変ですが、クライアント直接ではもっと大変です。いったん決まった値段が下がることはあっても上がることはないというくらいに思っておくべきです。いっぽう、料金設定が高すぎると、受注自体ができません。最初の交渉は慎重かつ大胆に行う必要があります。

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