この「講座」は、@nifty「翻訳フォーラム・アドバンスメント館(FTRAN2)」の第13会議室「翻訳JOB応援会議室」にて連載されているものを、著作者の許可を得てウェブ上に転載したものです。

この「講座」内容に関連する質疑応答は、@nifty「翻訳フォーラム・アドバンスメント館(FTRAN2)」の第13会議室「翻訳JOB応援会議室」にて受け付けております。

講座内容についてのご質問がある方は、どうぞ、上記会議室においでください。

1. はじめに

この翻訳フォーラムに興味のある方々には、二足の草鞋をはいている人も、数多くいることと思います。また、とりあえずは、二足の草鞋で翻訳の仕事を始めたいと考えておられる方も多いでしょう。この「二足の草鞋の履き方」は、そういう方々を念頭においた連載です。

基本的に、私自身が実践したことや検討したことなど、私自身の二足の草鞋経験に基づいて書く予定です。それに加えて、私個人とは異なる環境についてもなるべく網羅したいと考えています。もし、「こういう部分が知りたい」とか「それは違うんじゃない」ということがありましたら、電子会議室の方でお聞きください。感想や経験談の披露なども歓迎します(^^)

簡単に自己紹介しておきます。

大学を卒業後、大手石油会社に入社しました。もちろん、定年まで勤めるつもりでした。会社では、アメリカの大学院(修士課程)への留学をはさんだ研究室勤務から国の研究プロジェクトの推進・管理を行う特殊法人への出向、そしてビジネス分野への転進とさまざまな部署で仕事をしました。異動も希望したものでしたし、職場環境にも人間関係にも特に不満はありませんでした。

そんな私が技術・実務翻訳者として退職・独立することになったきっかけは、子どもが生まれたからです。夫婦共働きで、当時、妻の通勤時間は片道1時間40分。一方、私は中国を中心とした輸入担当で、トラブルがあると何時に帰れるかわからない世界でした。妻の育児休業終了後の生活を予測すると、どうやっても生活を回せそうにありません。保育園、ベビーシッター、在宅での子どもの預かり……いろいろと検討しましたが、通常の方法ではどうにもならないのです。

やはり、親が帰る時間を早くする必要がありました。でも、妻が、毎日、定時の1時間も前に退社するのも無理なら、私が毎日、夕方5時に定時退社するのも無理です。かといって、「子どもが小さい間の1〜2年、下の子が生まれたら4〜5年かもしれないが、残業の可能性がなくて自宅から近い職場に一時的に異動させてくれ」と言うのは、今の日本の企業社会ではわがままでしかありません。

無理に勤務を続ければ、どうしても回りに迷惑をかけます。その結果、いたたまれなくなって辞めるくらいなら、その前に退職・転職してしまったほうが、自分にとっても会社にとってもベターでしょう。

検討範囲を退職・転職まで広げていろいろと考えてみたところ、妻は勤めを続け、私が技術系の翻訳者として独立するのが、家族としては一番よさそうだという結論に達しました。

一番いいといっても、その前提は、私が翻訳者として一人前に稼げるということです。退職した、翻訳者のカンバン掲げた、仕事はない、となったのでは、住宅ローンを抱えた身につらいものがあります。一か八かの賭に出るか、それとも大事をとって給与が若干低いほうの妻が退職するか……どちらもできたら取りたくない選択肢でした。この状況を打開してくれたのが翻訳フォーラムと二足の草鞋でした。

翻訳フォーラムで業界の情報を集め、二足の草鞋で翻訳者としての自分の市場価値を見極めたおかげで、最悪でも失業状態になることはないと確信できただけでなく、退職した翌日から仕事にかかるなど、独立後の事業の立ち上がりもとてもスムースでした。その結果、退職したその年から一人前に稼ぐことができました。強いてあげれば、失業給付を1円も受けられなかったことだけが、心残りといえるでしょうか。

会社の仕事はかなり忙しく、夜中過ぎのタクシー帰りが続いたこともあります。また、貿易関係の仕事ではロシアや中国を担当していたため、彼らが来日すると、吐くまで飲まなきゃならないこともよくありました。そのような状況の中、イロイロと工夫して二足の草鞋を履きました。なにせ、遊ぶのも大好きですから、週末や家での自由時間を減らしたくないのです。そのため、「週末はやらない、家ではやらない」を原則として、往復の通勤電車の中と昼休みの喫茶店でノートパソコンを使って翻訳をする、という形態に落ち着きまた。まあ、いってみれば、社内翻訳者ならぬ、車内翻訳者です(笑)。こういう形態で、1日あたり、約10枚(英日、仕上がり400字換算)のペースで、コンスタントに仕事をしました。

ここ翻訳フォーラムには、1996年の夏に参加、1997年5月からアドバンスメント館サブシスおよび翻訳JOB応援会議室のボードオペを務めています。1998年1月には、子育てとの両立をねらって12年近く勤めた会社を辞めて翻訳専業となり、現在に至っています。あ、一応、男性です(^^;)

上記の翻訳JOB応援会議室は、翻訳というビジネスにまつわるさまざまな疑問や悩み事を取り扱う会議室です。この会議室の運営を通じ、二足の草鞋に関する疑問や悩みを持っていても、なかなか人に聞きにくいと思っている人が多いと分かったことも、今回の連載を思い立った理由の一つです。

なお、ペンネームとして使っている「Buckeye」は、翻訳フォーラムでの私のハンドル名です。これは、大学院で留学した米国Ohio州にちなんだものです。

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